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竹崎観音善寺修正会鬼祭の鬼責め

 

の故事として、旅人を鬼に見立てて、これを縛って境内の大石に繋いで責めたという話があるという(注?)。いかにも、まがつものを拒絶する非情さを見る思いがする。人形や何かにまがつものを依り付けて焼却するという例もあるが、この場合はその対象が生き身の人間だったということである。
ところが、同じ修正会に登場する鬼でも、大分県の国東の修正鬼会のそれは、上記の場合とは全く逆の、悪鬼(悪霊)を追い払う立場の働きを見せる。いわば中国の周代や漢代の文献に記されている追儺(後に我が国に流入し宮廷行事化した)に登場する方相氏(貸金の四つ目で熊の皮を着し、玄衣朱裳のいでたちで、戈を軋り盾を掲げて悪鬼を追送した)の立場に立ったようなものである。実はここでの鬼も人を叩くことをするが、決して懲らしめる為ではなくて、むしろそうすることによって叩かれた人の身の安全、新しい年の幸せをはかってあげようとするのである。したがって人々(見物の村人達)はこぞってこの鬼役の周りに集まり、火タイマツで腰や肩あるいは尻などをバシッと叩かれることを望む。この所為のことをいかにも寺の行事らしく、加持祈祷の加持をすると称している。鬼に関わるこういった所為ではないが、この種修正会の次第には吉祥に預り得るいくつかの宝といったものがある。その一つが牛王杖で、国東ではこれをトシノカズと称し、これを田圃の水口や畑に立てておくと虫封じになり豊作が期待されると言い伝えている。したがって人々は競ってこれを奪い合う。また国東では鬼の目と称して大きな鏡餅が撒かれるが、これを食べると健康に良いとされている。
おまじないなのだから少々の嗜みにも我慢しなければならないという、変態とも思われかねない所為が祭りの場では色々な局面で現われ、習慣となっている。新しく来た嫁の尻を叩いて、早期の子供の出産を促がす年中行事と同趣意の所為をなす悪さをする訪れ神の事例が各地にある。長野県下伊那郡阿南町の新野の雪祭の庭の芸能諸演目の真っ先に登場するサイホウ(幸法)は仮面をかけ、右手に松枝、左手に菱型の団扇状のものを持ち、庁屋と神前の間をマジカルな歩行で行ったり来たりする(注?)。ものを語らず、黙々と右往左往している様は何やら神秘感を漂わせるが、その後「修行」と称して、男根様の棒を手にして周囲の女性の尻をなでまわる。触られた人たちは逃げたりするが、一方そのようになでられた人は安産、子宝に恵ぐまれると信じられ、ここにもまたアンビバレントな気持が作用している。あるいは先述の西浦の田楽の子守り役は巨大マラのネンネンボーシを背負っており、その暴れぶり、周囲の見物へのちょっかいはあるいはこの修行と一脈通じたところがあるのかもしれない。

●神楽の鬼と岩田勝氏の解釈●

奥三河の花祭の榊鬼、山見鬼などの鬼面のものの登場を、出づとをたずさえて来る山人と説明した折口信夫の一文は芸能史研究者間ではっとに知られた話である(注?)。以前私は高知県吾川郡池川町で土佐神楽の一つ池川だい神楽を見学する後会があったが、その折、大蛮と称する悪さをする鬼面のものが現われびっくりしたことがある。これも折口信夫が説明した花祭の鬼と同じ系統に属するものなりと説かれたのが岩田勝氏である(往?)。当時私はそのことに気づいていなかったが、ともかくその場の情景を次のように綴ったことが

 

 

 

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